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忘れてはならない災害の記憶(7・11災害)

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忘れてならない災害の記憶 平成7年7月11日災害

平成7年に信濃町を襲った災害の記録です。
過去の災害の記憶をご覧いただき、改めて防災への意識を高めていだくきっかけになれば幸いです。

平成7年7月11日。
長野県北部では、記録的な豪雨が12日まで降り続け、信濃町では、関川、鳥居川水系で河川が氾濫。
熊坂・柄山・赤川・高沢・長水集落などで、家屋の流失や床上・床下浸水などの被害が発生した。
すさまじい濁流が道路や鉄道、電話、水道などのライフラインを分断し、町は一時、陸の孤島と化した。

忘れてならない災害の記憶Vol3

映像の説明

災害発生とともに、信濃町役場に設置された災害対策本部取材班による取材映像です。役場の倉庫に保管されていたビデオテープ(90分程度)の映像を、4つ程度の映像に再編集・分割しました。 Vol4の映像は、12月末に掲載を予定しています。

映像中、効果音(ピー音)が入る箇所がありますが、個人情報に配慮した処理ですので予めご了承ください。

※本サイトからのリンク先であるYouTubeに起因する不具合等については責任を負いません。

忘れてならない災害の記憶(「7・11災害」記録映像in YouTube)

地域の助け合い

(「広報しなの」(平成18年3月号)の消防団特集で、災害当時の信濃町消防団長・佐藤善一さんへのインタビュー記事より)

平成7年7月11日の夕方。
佐藤さんは、これまで見たこともない黒い雲を
妙高方面の空に見た。
時を同じくして、長野県北部に大雨警報の発令を知る。
「何か胸騒ぎを感じた。」
佐藤さんはすぐに帰宅。
直後にものすごい雨が降りだした。
佐藤さんは役場職員と、関川沿いの高沢方面に向かう。

すでに関川は濁流と化し、
対岸では堤防が崩れ落ちていたが、
「地域で声を掛け合い自主的に避難されていました。」
取り残された方がいないか確認後、下流の熊坂地区に向かった。

土砂が崩れて杭がむき出しになっている写真

途中、六月のJR踏切が赤川から溢れだした水で浸水。
鉄道車両に危険が生じると判断した佐藤さんは、
非常停止ボタンを押し、関係機関に連絡。
信濃町への列車の運転を止めた。

土砂の写真

その後も家屋への浸水の恐れがある箇所で、
消防団に食い止めるよう指示をしつつ、
赤川地区に着いたときには、
関川の濁流は両岸を洗い流し熊坂への通路もなくなっていた。
家屋の流失などの被害が発生していたが、
熊坂でも地域のみなさんが互いに助け合いながら
避難されたことを無線で確認。
熊坂分団に対応を任せ他の現場に駆けつけた。

その後も町内各地から次々と災害発生の連絡が入る。
各地の消防団員に土のうなどで、
出来る限り浸水を食い止めるように指示したが、
決して無理なことはさせなかった。

「自然の猛威に成す術なしという感じでした。
とにかく人的被害を出さないことを最優先しました」

7月12日、被害状況が明らかになる。

各地で決壊した堤防。
多くの民家で床上・床下浸水。
氾濫により大量に流れ込んだ土砂。

道が崩れて水浸しになっている写真

大きな傷跡を残しながらも人命損失は0であった。
災害が上流から時間差で発生したことで、
比較的対応がとりやすかったことなどの条件も重なったが、
佐藤さんはこう振り返る。

「やはり一番は地域のみなさんの迅速な避難と助け合いが
人命損失なし、という結果になったと思います。
また、消防団員諸君の頑張り、役場、警察、消防署などの
みなさんにも大変感謝しています。」

地域は自分の手で守る ~信濃町消防団~

災害の拡大を防ぐため、土嚢を積む消防団

災害の拡大を防ぐため、土嚢を積む消防団。このときの献身的な働きは高く評価され、「防災功労者内閣総理大臣表彰」を受賞しました

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